|
川の淀めらば故しもあると人の見まくに」の異伝であることが明らかであろう。では残る二首はいつ頃の作品でありその先後関係をどう見ればよいのであろうか。
まず二首の関係は、その表現を比較すればほぼ明らかに九三三が早いと見てよいのではなかろうか。六八七番歌の「あすかがはふちはせになる世なりとも」という表現は、それ以前に飛鳥川の淵が瀬になることを誰かが表現したことがあることを前提にして、初めて成り立つ表現と思われる。
ところで六八七番歌のこの部分は、一見仮定条件句のようにも見え、「たとえ飛鳥川の淵は瀬になる世であっても」と、実際には飛鳥川が変化しないことを前提に詠んでいるかのようにも見えるが、現在の注釈書においては「修辞的仮定」(旧版岩波古典大系)であって、「非常に転変極まりない世で、明日香河の淵が瀬に変わるようなこの世の中であるが、たといそんな世の中であったとしても、の意」(竹岡正夫『古今和歌集全評釈』昭和五六年二月一〇日右文書院)と解されている。そうとのみ解してよいものかどうか、「山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」(金槐和歌集六八〇)のような明らかな仮定条件の例を見ると必ずしも首肯し難いのだが、これはあくまでも後世の例、とりあえず古今集諸注の説に従っておく。
しかしここを修辞的仮定と見、飛鳥川が実際に変化したことを前提にしているのだと解したところで、この歌が飛鳥川を非常に変化しにくい川であることを前提に詠んでいることには変わりがない。「明日香河の淵が瀬に変わるようなこの世の中」を「非常に転変極まりない世」とするのは、滅多に変わるはずがない飛鳥川が変わってしまうほど転変極まりないと捉えているはずだからである。そしてこの詠み方は、古今集撰者時代の伊勢の歌(九九〇)とは全く違う。
伊勢の歌には「家をうりてよめる」という詞書がある。この歌の「ふち」には川の淵と扶持が掛けられているという説が全集によって提唱され、それを支持する説(全評釈??新大系)とあくまで一説として提示するにとどめる説(旺文社文庫??集成)があるが、「せにかはりゆく」の「せに」に「瀬に」と「銭」が掛けられているという見方は古注以来のものである。それはともかくこの歌においては、飛鳥川の淵は瀬に変わるもの、という観念が既に定着していると見るべきであろう。飛鳥川よりも我が家の方が変化しにくいというのであるから。
以上の考察により、古今集に見える飛鳥川詠五首の先後関係、影響関係を整理すると次のようになるであろう。
1 成立が最も古いのは七二〇番歌であろう。古今集のような形になった時期は知れないが、原作は万葉歌である。
2 七二〇番歌との先後関係は必ずしも明らかでないとはいえ、残る四首の中で最も古いのは九三三番歌であろう。この段階では飛鳥川はあくまでも永遠の川というイメージであった。
3 それに次ぐのが六八七番歌で、恐らく九三三番歌を踏まえて詠まれた。既に飛鳥川の変化を前提とするが、その変化は極めて少ないとの認識を前提としている。
4 三四一と九九〇の先後関係は不明だが、どちらも古今集撰者時代の歌。三四一は万葉集に見える飛鳥川の流れの速さというイメージと、九三三番歌の「昨日」「今日」「明日」という表現を利用して詠まれた。九九〇は九三三番歌のみを踏まえ、飛鳥川が変化する川であるという観念を、家を売るという現実体験を詠出するために利用した。
なおこの歌の作者伊勢には、後撰集にも飛鳥川を詠んだ歌が二首あり(「いとはるる身をうれはしみいつしかとあすか河をもたのむべらなり」(巻十一恋三-七五一)、「あすか河淵せにかはる心とはみなかみしもの人もいふめり」(巻十八雑四-一二五八))、それと関わる形で詠まれたかと思われる別人の歌も二首ある(在原元方七五〇番歌と贈太政大臣-時平-七五二番歌。引用略)。飛鳥川のイメージを逆転した鍵は、或いは伊勢またはその周辺に隠されているかもしれないと思わせる(注12)。
五 結びに代えて-永遠から有限へ
古今集九三三番歌や六八七番歌では滅多に変化しないはずでありむしろ永遠に近いものと捉えられていた飛鳥川が、古今集撰者時代の伊勢その他の歌ではどうして変化しやすいものの代表であるかのような詠まれ方をしてしまったのか、その明確な解答は今にわかに出せないが、或いはヒントになるかも知れないと思うのは、次の古今集一〇九三番歌の受容のされ方である。
君をおきてあだし心を我が持たば末の松山波も越えなむ(巻二〇東歌)
この歌に出る地名「末の松山」は万葉集には見えず、古今集初出の歌枕であったが、以後夥しい被影響作を生んだ。しかしこの歌において「末の松山」を波が越えるという事態は、かつて飛鳥川が悠久の川と捉えられていたと同じように、永久にありえない事態として詠まれていたのであったが、これもまた、間もなく波が越えるものに変わってしまう。たとえば『歌枕歌ことば辞典』は、「(一〇九三番歌は-筆者注)奥羽地方で謡われていたものが宮廷の歌謡にもなり『古今集』の巻二十にとられたのであろうが、平安時代の和歌に異常なほどの影響を与えた。一夫多妻制の時代「君をおきてあだし心をわが持たば」と契ることは、男女の間では最も重要なことでもあったからであろう。「わが袖は名に立つすゑの松山か空より浪の越えぬ日はなし」(後撰集??恋二??土佐)「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪越さじとは」(後拾遺??恋四??元輔、百人一首)など、「すゑの松山」の形でよまれているものも多いが、「荒磯のみるめはなほやかづくらむすゑの松まで浪高くとも」(相模集)のように「すゑの松」という形、「松山をつらきながらも浪越さむことはさすがに悲しきものを」(後撰集??恋三??時平)などのごとく「松山」の形でよまれているものも多い。しかし、そのいずれもが『古今集』の「君をおきてあだし心を??????」の歌を踏まえて表現していることに変わりはない」と解説している。ここに引かれているうちの「わが袖は名に立つすゑの松山か空より浪の越えぬ日はなし」(後撰一〇恋二-六八三、六八四土佐)では既に、末の松山はあたかも波が越えるのが常態であるかのように詠まれているのである。
次の「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪越さじとは」(後拾遺一四恋四-七七〇元輔、百人一首)の場合、「末の松山浪越さじ」と契ったのにあなたはその約束を破ったというのだから、波は越えてしまったというのだが、それはあってはならない事が起こったと捉えているのであって、土佐の歌のように波が越えるのが常態であるというのではない。こうして歌によってニュアンスの違いはあるものの、本歌では永久に越えないとされた波が越えてしまったことには違いない。
末の松山の場合、本歌当初の観念が逆転した事情は理解しやすい。『歌枕歌ことば辞典』が言うように、「一夫多妻制の時代「君をおきてあだし心をわが持たば」と契ることは、男女の間では最も重要なことでもあった」ろうし、その約束はしばしば破られただろうからである。本歌の「君をおきて」の歌そのものが、その約束が確実に履行されたという保証はないのである。
とはいえ飛鳥川と末の松山と、この二つの例が、有限から永遠への変化ではなくてその逆であることはやはり注意してよいのではなかろうか。日本人の思想の歴史の中に、永遠と信じていたものをやがて有限と気づくという大きな流れ、言い換えれば元々日本人にはなかったか希薄であった無常の認識が、徐々に明確になって行くという歴史があったように思うからである。
(注)
1 和歌の引用は歌番号を含め原則として新編国歌大観によるが、漢字??仮名の使い分けは私に改めた場合がある。また他の本によった場合は注によって断る。
2 本文は新大系『方丈記 徒然草』による。
3 本文は新潮古典集成『徒然草』による。
4 明治四十一年六月二十五日明治書院。手元の版は大正十一年二月十五日の訂正十二版。
5 昭和三十五年六月一〇日東京堂。
6 万葉集の本文と表記は原則として角川文庫によるが、訓が問題になる場合以外振り仮名は省略する。歌番号は初出時新番号と旧番号を併記するが、以降は新番号のみで示す。なお「一本云」の本文は省略する。
7 万葉集の研究の中にも分析例はあるのかもしれないが、今検索できない。
8 「飛鳥川七瀬の淀に吹く風のいたづらにのみ行く月日かな」(続後撰巻十六雑歌上一〇一八順徳院御製)、「飛鳥川一つ淵とやなりぬらん七瀬の淀の五月雨の頃」(風雅巻四夏歌三六二権中納言公雄)、「春の日もいまいくかかは飛鳥川七瀬の淀にしがらみもがな」(壬二集-家隆-巻三春部二二〇六)など。
9 完訳日本の古典。全注も甘樫丘とするが角川文庫は「雷岡か」とする。
10 この歌は「あすかがはゆききのをかの秋萩はけふふる雨に散りか過ぎなむ」(夫木和歌抄巻十一秋部二-四一〇四題不知、万八、丹比国人)という形で伝承され、「ゆききの岡の秋萩」乃至他の植物と組み合わせて詠む例が散見する。
11 川村晃生『古今和歌集』(ほるぷ出版一九八六)はそう読んでいるようである。「飛鳥川は奈良県の明日香一帯を流れる川で、『万葉集』ですでに(一一二六の引用略)と、転変をテーマに詠まれた歌が見える」とする。
12 小町集に「世の中はあすか川にもならばなれ君と我とがなかしたえずは(八四)」という歌があり、これが小町真作ならば既に六歌仙時代に飛鳥川のイメージは逆転していたことになるが、片桐洋一『小野小町追跡』(昭和五〇年四月五日笠間選書三六)によれば、流布本小町集のこの歌がある部分は「小町作でないこと明らかな歌を中心にまとめられていると言ってもよい」(八六ページ)とのこと。むしろ淵も瀬も表現としては出さずに古今九三三を踏まえたことがわかる作品なので、伊勢達の歌よりも後のものであろうと推測される。www.oral8.com收集整理
上一页 [1] [2] |