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メタファーに過ぎず,科学的な行動説明や予測・統制に結びつかなくても,クライエントの行動を心的概念によって説明することは,クライエントと臨床家自身との関係性がどうであり,臨床家がそのクライエントにこれからどのように治療的介入を行なっていけるかという,臨床家がクライエントの中に見出し得るアフォーダンスを暗示してくれるだろう.
同じクライエントの問題について臨床家どうしの解釈や原因論の説明が大きく異なることが多い事実は,「科学的」心理学からはよく批判されてきた.しかし,とくに心的概念を用いたそうした説明が臨床家間で一致しないことは,単にそれぞれの臨床家がそのクライエントに見出すアフォーダンスの違いを示しているに過ぎないかもしれない.臨床心理学者たちがこうした不一致を他の心理学者よりも深刻視しないのはこのためだろう.
IV.討論:心的概念と心理学
これまで述べてきたように,心的概念による行動説明は行動を生み出してきた過去の観察できない環境事象のメタファーであり,その人の歴史を俯瞰的に理解するとともに,それを第三者に伝えるコミュニケーション枠としての意味がある.また,特定の他者の行動の心的概念による説明は,自分がその他者に見出している人間関係上のアフォーダンスのメタファーでもある.
こうしたメタファーとしての心的概念は,とくに二者関係や臨床心理学的場面のような濃密な人間関係において他者の行動やその原因を理解し,それに対処していくための一定の力を確かにわれわれに与えてくれる.しかし,心的概念による行動の説明はあくまでも形而上学的なメタファーであり,行動の真の原因を示してはくれないし,行動の科学的な予測や制御にも役立たない.
心理学の歴史を顧みると,心理学者も本来こうした心的概念をメタファー的な意味で用いてきたことは間違いない.しかし,「精神物理学」(注17)以来の心理学の歴史は,心的概念を自然科学的な方法で取り扱える,物理的な実体と取り違えてきた.しかし,精神やこころはいうまでもなく直接アクセス可能でないから,それを観察可能な行動に還元し,測定や実験の対象にするという奇妙な方法を採らざるを得なかった.このことは心的概念のメタファーとしての豊かな意味を失わせたため,それを大切にする多くの人々が「科学的」心理学から離れていったのである(注18).
同時に,心的概念を内的過程と同一視し,そこから行動を原因論的に説明しようとしたことで,心理学の方法論が非常に混乱したとともに,心理学の応用的価値も限定されてしまっている.そうした問題の典型的なものが,心理学的測定とそれによる行動予測にまつわる諸問題である(注19).心的概念が内的な行動の原因であると考えると,それは環境や状況とは独立に行動に影響していると考えられる.であれば,測定によって心的概念を把握することができれば,そこから状況を超えた将来の行動予測が可能になるはずである.
このことは,本来環境刺激と独立ではなく,かつ狭い時間的パースペクティブしか持たない心的概念に通状況的な一貫性と将来の行動予測力を仮定したという点で間違っていた.心理検査や性格テストなどでは,それで計量された行動パターンと結びついた心的概念の測定から,その人の行動の特徴を説明したり,後の行動を予測したりする.これは,その人の行動が成立し,変化している時間的流れを勝手に止め,その時の状態に勝手に一貫性を仮定して,その後のその人の人生を決めつけてしまうことになる.
こうした論理は科学的な妥当性をもたないため,心的概念を測定する心理検査や性格テストの結果は実際にはほとんど行動の予測力をもたない(注20).ただその結果にもメタファー的な意味があるために,テスト結果からなんとなく自分や他者の何かがわかったような気がするし,メタファーの読み取りかた次第では実際に役に立ったりするので信じられ,利用されている.しかし,こうした価値はテスト制作者たちの意図したものではないだろう.同時に,心理検査による人間行動の説明や予測という考え方自体が人間疎外であり,差別の温床であるとすら考えられはじめている(注21).
これらのことは,この論文の冒頭でも述べたように,人間の行動の原因を科学的に分析し,行動を予測・制御するためには,理論的システムの中に心的概念を含めてはならないことを示している.科学としての心理学は,いずれこれらの教訓を次第に理解し,環境と生体の相互作用とその結果としての行動を客観的に分析する行動主義的なものへと収斂し,進化していくだろう.
いっぽうで,目に見えない個人の歴史や,自分が他者の中に見出した対人関係上のアフォーダンスを暗示するメタファーとしての心的概念がもつ意味は,決して否定されるものではない.単にそれが科学的説明には使えない,というだけのことである.
人間の学問としての心理学が問題とし,研究対象とする問題がすべて科学的な検討になじむものであり,科学的に解明できるものだと決めつける必要はない.たとえば精神分析は科学とはいえないが,それが人類の歴史に果たした役割は測りしれないだろう.主観的な意識や,特定の人と人との実存的な関係性などといった実体のない,形而上学的な問題を扱えるのは科学的方法ではなく,了解的な思弁である.こうした了解的な方法も古くから心理学独自の,得意な方法として発展してきた.そして,そこでは心的概念のメタファー的な価値が十分に認識され,活用されているのである.たとえば「無意識」がメタファーである,ということには現在の多くの精神分析学者が同意するだろう.しかしそれによって無意識概念の有用性が揺らぐことはない.
問題は,「科学的」心理学が心的概念を科学的概念と取り違えて,それを客観的に取り扱うためのひねくれた方法を百年にわたって編み出し続けたことにある.メタファーである心的概念は人というスクリーンに映る映像であり,その裏側には何の実体もない.
ビートルズ全盛期のファンたちはビートルズの映画に熱狂し,それが映画であることを忘れてスクリーンのジョン・レノンやリンゴ・スターに突進し,スクリーンに抱きついたという伝説が残っている.心理学者たちが,心的概念がなんらかの実体であり,それを測定したり実験したりできると考えてきた歴史も,いずれはこうした楽しい伝説の仲間入りをすることになるだろう. www.oral8.com收集整理
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